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ひとり閉校式。

母校の日吉小学校が、今年の春、役目を終えて閉校することとなりました。
少子化で仕方ないこととはいえ、やはり、寂しい。
3月28日(土)が閉校式だったのですが、出席できませんでした。
今日は陽気も良くて、勝手に、ひとり閉校式。



正門と校舎。
入学したときは、味のある木造校舎でしたが、小5になる春にこの校舎にお引越ししました。
机や椅子を各自運んだのを覚えています。
この校舎の前に、シンボルツリーの大きなユーカリの木が2本あったのですが、もう枯れてないです。



もうひとつのシンボルツリー、銀杏の木はまだありました!
この銀杏の木、毎年秋になると、かぐわしい(笑)香りの銀杏の実をたくさんつけます。
小2の頃と記憶していますが、クラスのみんなでこの実を拾い、担任の矢原先生がそれを洗って干してくださり、家庭科室で炒って食べさせてくださいました。
初めて食べる銀杏の実の香ばしかったこと!
プラス、普段はお兄さんお姉さんしか使えない家庭科室に入れたことも、とても嬉しかったのを憶えています。



築山。
小3だったか小4だったか、ある日、担任の喜代子先生が「今日は給食を外で食べよう!」とおっしゃって、この築山に給食を運んでみんなで食べました。
小さな非日常。ピクニックみたいで、とても楽しくて、普段の給食がとても美味しく感じたのを憶えています。
ただ、その後、喜代子先生は校長先生にこっぴどくしかられたのだとか・・・
喜代子先生は、何もおっしゃいませんでしたが、親から聞きました。
楽しかったし、そんな悪いこととも思わないのだけど・・・世の中、そんなものなのかもしれません。
後にも先にも、この築山で給食を食べたのは、私たちだけだったのかも。




築山の二ノ宮金次郎とモニュメント。
ここの二ノ宮金次郎さんは、昔のままで、ちょっとほっとしました。
最近は、歩きながら本を読むことが歩きスマホを連想させるので、腰を下ろして本を読んでいる像も作られているのだとか。なかなか難しい世の中です。
右のモニュメントは、当時無かったな。




それから、忘れたいけど忘れちゃいけないのが、小6の卒業間際、担任やら家庭科の先生やらへの不満が爆発、私たちのクラスほぼ全員で学校を脱走した事件。
これって、言っていいのかな?時効?いや、最近、時効って無くなったんでしたっけ。
もしかしたら、明日には削除してるかも。。
正門から、走ってみんなで学校を抜け出しました。
結局、夕方には河口のテトラポットのところにいるのが見つかり、全員あえなく御用となったわけですが、当時の担任の先生(まだ若かった)の気持ちを考えると、本当に申し訳ないことをしたと思います。校長先生にも。
改めて、ごめんなさい。
そんなこともあって、卒業式の後、クラスに戻って担任のH先生の言葉、
「みんな、この先、沈没するなよ!」
は何十年経っても憶えています。
当時から、日吉小学校は市内でも小規模校で、8クラスもある中学校へ通うことになるのは、先生から見ると、ありんこ達が池から大海に小船で漕ぎ出す感じだったのかもしれません。(しかも、脱走する奴らだし・・・)
今でも、ときどき、「私、沈没していないかな?」と思い返すことがあります。
沈没寸前のこともありますが。まあ、なんとかやってます、H先生。


今でも、と言えば、


「人に親切
 良い子は感謝
 しましょう挨拶」



当時、黒板の上に額に入って掲げてありました。
最近も掲げてあったのかしら。
頭の字を取ると、「ひ・よ・し」になります。
子供のころは、そんなの出来て当たり前じゃん、と思ってましたが、
大人になるとむしろ、ちゃんと出来ているかなぁ、と不安になります。
「人に親切  良い子は感謝 しましょう挨拶」
生きていくうえで、大切なことが凝縮されていて、私は好きな言葉です。
今でも時々思い返しては、「あ〜 出来てないや」と思い、自分を戒めます。
6年間の毎日の刷り込みって、ある意味コワイ。


こんなことをつらつら考えながらのひとり閉校式。
ひとりでこれだから、28日の閉校式に行って、懐かしい顔をみたりしたら、絶対泣いてたな、私。


日吉小学校、124年間、お疲れ様でした。
そして、ありがとう。